由来とあらまし

世界遺産・国宝姫路城を借景とした日本庭園

市制百周年を記念して建造

古図 姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」は、市制百周年を記念して建造された約1万坪の日本庭園で文化財の保全と活用を兼ねた新しい文化の場として平成4年4月29日に開園しました。

整備に先立つ7次にわたる発掘調査で、元和4年(1618)に本多忠政が造営した西御屋敷や武家屋敷、通路跡等の遺構が確認され、これは酒井家時代の「姫路侍屋敷図」に記されたものとほぼ合致しています。

9つの趣の異なる庭園群で構成

姫路城西の丸一帯の豊かな原始林を借景とした庭園庭園の計画は、京都大学教授中村一氏の設計監修を受けたものであり、確認された屋敷割や通路の地割を活かした9つの大小庭園群及びアプローチ樹林帯・広場で構成しています。

また庭園内には、築地塀・屋敷門・長屋門や渡り廊下で結んだ「活水軒」「潮音斎」をはじめ、裏千家第十五代家元千宗室氏の設計・監修による本格的数寄屋建築の茶室「双樹庵」を配しています。

この庭園は池や水の流れで結ばれた池泉回遊式庭園ですが、最大の特徴は世界遺産・国宝姫路城を借景としていることです。

姫路城西の丸一帯の豊かな原始林を借景とした庭園は、歴史と自然が調和した優美な景観を創り上げています。

文武両道の藩校「好古堂」に因んだ名称「好古園」

酒井家の家紋と扁額「好古園」の愛称は、藩校「好古堂」に因んで命名されました。

江戸時代最後の姫路藩主であった酒井家は、前任地上野国厩橋(群馬県前橋市)において元禄5年(1692)に藩校「好古堂」を開校しました。寛延2年(1749)酒井忠恭が姫路藩へ移封されたとき、藩校も姫路城内大名町東南総社門内の元藩会所跡に移設されました。

その後、好古堂は桜町大手門前南側を経て、天保13年(1842)に酒井忠学は、「好古堂」を大手門西側(現在の好古園入ロ付近)に移転拡張しました。このとき、寄宿舎を私学校「仁寿山饗」から移築し、演武場などを新築し、藩校の規模を拡充して文武の基礎を固め、両道の振興を図りました。

好古園入ロの扁額は、酒井藩校「好古堂」の督学であった松平惇典が後に開いた、家塾の塾頭であった結城義聞の子息で元東京大学教授・結城令聞氏の書です。